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1999年09月09日

前身団体について

前身団体の「語りつぐ青函連絡船の世紀を成功させる会」は、その名のとおり、イベント「語りつぐ青函連絡船の世紀」を「成功させる」ために結成された会です。

イベント「語りつぐ青函連絡船の世紀」は、1999年7月に写真家の白井朝子が、函館港にメモリアルシップとして保存・展示されている摩周丸で「青函連絡船の写真展を開きたい」と思いたったことからはじまりました。

ところが、写真展の打ち合わせで函館を訪問したところ、連絡船廃止後12年がたち人々の関心も薄れてきているようで、「摩周丸の入場者数も落ちこんでいる。このままでいくと将来存続が問われる可能性もある」という話を聞かされました。

帰京後、白井は「青函連絡船が人々の記憶から遠ざかってしまうのはとても残念だ。何とかならないだろうか」と、仲間に相談。そこで、写真展だけでなくいろいろなイベントを開催して盛り上げ、函館のシンボルとして青函連絡船摩周丸の保存・活用をアピールしたらどうか、ということになり、イベント「語りつぐ青函連絡船の世紀」が企画されました。

そして、このイベントを支援する団体として、白井の友人・知人で青函連絡船や函館に縁のある著名な方々に「水先案内人」になっていただき、「語りつぐ青函連絡船の世紀を成功させる会」が結成されました。

水先案内人とは、ようするに発起人のようなものですが、代表となった石黒隆より「発起人などではなく、もっと気のきいた名称にしてもらいたい」との注文があり、船にちなんで名づけました。そして、東京のイベント実行委員も「甲板員」と名乗ることになりました。

一方、函館でも、青函連絡船OBを中心に函館シーポートプラザ(メモリアルシップ摩周丸の経営母体)、JR北海道函館支社(支社長:木村一郎)も加わり、イベント実行委員会と事務局が組織されました。

この時点では「成功させる会」は、あくまでも支援団体にすぎなかったのですが、その後、いろいろな事情からイベントの主催を引き受けることになりました。イベント主催団体なのに「成功させる会」という名称なのは、こういうわけです。

そして、2000年3月11日に無事(イベント開催までの道は、けっして平坦ではなく、人知れない苦労があったのですが、これは省略)、イベント開幕を迎えました。

語りつぐ青函連絡船の世紀を成功させる会

●水先案内人(発起人)
石黒 隆(元国鉄青函局長、津軽丸型連絡船設計者)=代表
久々宮 久(前東京商船大学学長)=副代表
大森義弘(JR北海道会長)
金澤寛太郎(ジャーナリスト、元NHK報道部プロデューサー、広島市立大学教授)
木幡朋介(割付師、元雑誌『太陽』編集長)
田中光常(写真家、北大水産学部卒)
田中正吾(国鉄船舶OB会、第二代摩周丸初代船長)
鶴味政一(前ソニー・マガジンズ社長)
山岡通太郎(日本ナショナルトラスト理事長)
湯川れい子(音楽評論家、作詞家)

●甲板員(実行委員会)
上地啓理(交通新聞社取締役)=甲板長
大熊 昭(運輸省)
小柳頼行(建設省)
岩成政和(東京都庁)
村上和子(建築家)
高橋 摂(編集者)

白井朝子(写真家、温泉&入浴研究家)

●賛助会員
220名(氏名省略)

※役職名等は当時
posted by 事務局 at 00:00 | 基本情報